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【第一回】銀河の回転曲線問題をヤヌスモデルでシミュレート。ダークマター説を切る。

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回転曲線問題をヤヌスモデルでシミュレート。 回転曲線問題とは 回転曲線問題とは、wikiの言葉を借りれば、分光観測上の銀河の推定される重さ(下図A)と、実際の回転速度(下図B)が一致しない問題。詳しく言えば、外に行くほど遅くなるはずなのに、一定の距離から速度変化が平坦になる問題。これがきっかけで、実は目に見えない物質、 ダークマター があるのではないかと言われるようになった。 シミュレートの試み 動機 後述するが、ジャン=ピエール・プチ氏の論文には、当時のスーパーコンピューターで行った銀河のシミュレーション結果の写真がある。また、プチ氏のホームページに飛べば、長い間安定して回転する渦巻銀河の様子がGIFとして見ることもできる。 そして話は変わるが、プチ氏はヤヌスモデルを世に広めるため、漫画の執筆も行っている。 ここで私は考えたのだ。 20,30年前のスーパーコンピュータで行ったシミュレーションは、現代のパーソナルコンピュータでも再現可能なのではないのか。そしたら、漫画以外でも、ヤヌスモデルを身近に感じてもらえ、直感的に理解されるのではないかと。 初め 初めは手探りで行った。まず銀河の回転を再現し、一般的な回転曲線になるための負の質量の分布を逆説的に炙り出そうとした。その時の動画と回転曲線がある。ただ、たくさん実験していたのでどの動画とどの曲線がセットかが分からなくなってしまった。雰囲気だけ掴んでいただきたい。 全然ダメなのがわかるだろう。確かに、 負の質量がないことを仮定すると (図では負の質量の効果を再現できていないので、無いも同然)、下図のようにすぐに 速度が落ちてしまう のが分かるだろう。これは、分光観測上の推定される回転曲線とよく似ている。 現在の成果 実はここに来てようやく、正の物質、負の物質の概念だけでN-body計算し、逆説的に...云々とやるのではなく、理論に手を出した。理論に基づいたプログラムで行ったシミュレーションが、実際の銀河の回転曲線と同じようになれば、理論が正しいと主張できる一つの材料にはなる。というか、もともとプチ氏の論文にも、画像を貼り付けて、シミュレーションを紹介していた。 これ とか、 これ とか、 これ などだ。 注意を向けたのは、Jamie Farnes氏が行った物質の比。彼は正の物質を5000、負の物質を45000としたらしい...

プチ氏によるヤヌスモデル講義、日本語吹き替え版配信開始

 この度、ヤヌスモデル・ジャパンの YouTube にて、プチ氏が自身のYouTubeに投稿しているヤヌス宇宙モデルのプレゼンテーションの日本語吹き替えの配信を開始しました。 第一回を観たプチ博士からのフィードバック: Voter doublage des vidéos est une excellente chose. Je ne peux qu'approuver.    とご返信をいただきました。 (直訳:ビデオの吹き替えは素晴らしいことです。私はそれに賛成するしかありません。  日付:2025/3/17) ところどころ不自然な翻訳や間になってしまっている事をお詫びします。 今後とも、よろしくお願い申し上げます。  

ヤヌス宇宙論モデル(The Janus Cosmological Model, JCM)の最新ニュース 2025-01

  ヤヌス宇宙論モデル(JCM)の最新ニュース この度、 公式ホームページ に最新ニュースが掲載されましたので、その報告記事となります。  ニュース1 ヤヌス宇宙論モデルの解説本が無料でダウンロード可能に  この度、ヤヌス宇宙論モデルを詳細に説明した233ページにわたる完全本が無料でダウンロードできるようになりました。  ニュース2 ヤヌス・モデルのエッセンスの公開 ヤヌス・モデルのエッセンス(数学的基礎、発展、観測による確認)は、2024年末、トップクラスの科学雑誌EPJ Cに掲載されました。この論文は、できるだけ多くの人がアクセスできるようにオープンアクセスになっています。arXivでもご覧いただけます。

ジャン=ピエール・プチ(Jean-Pierre Petit)

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 ジャン=ピエール・プチ(Jean-Pierre Petit)  はじめに  本記事は、物理学者、ジャン=ピエール・プチ氏(以下プチ氏)のプロフィール説明となります。フランス語が堪能な方は、 こちら から原文をお読みいただけます。なお、本記事はその原文に限らない説明もございますことをご了承ください。  生涯  生い立ち  1937年にフランスに生まれる。ナチス・ドイツのフランス侵攻時には3歳で、既に家庭が崩壊しており、父親は母国スペインに帰国。そのまま父親に見捨てられ、母親の再婚による姓の変更、経済的制約、父親の不在に苦悩を強いられた。  高校時代  名門・リセ コンドルセ高校 数学クラス 1957年( https://www.jp-petit.org/bio_fr/mathsup.gif )  暮らし  プチ氏は10代の頃、スキューバダイビングに出会い、友人のロジェ・プーランと共に、マルセイユ沖の沈没船ドローム号の60メートル下に潜り、ロブスターを採取したこともあった。下の写真は1950年代後半、マルセイユの東端にあるレ・グード近くの小さな港、クロワゼットで撮影された。右がプチ氏。白い「ボブ」は友人のプードヴィーニュ氏。プチ氏は夏、頻繁にそこで冒険的な生活を送った。 クロワゼットにて。( https://www.jp-petit.org/bio_fr/requin2bis.gif ) また、難破船を探す旅にて、のちの半世紀にわたる友人、ジャンとの出会いもあり、さまざまな崖、建物を登った。 ベルギー・アルデンヌのシャルー・キャンドルにて。上:ジャン・ルコント、下:ジャン=ピエール・プチ、20歳 ( jpp_lecomte.gif )  学業 当時、医学はプチ氏にとって魅力的だったが、データを記憶する能力の欠如がその道を断たせた。彼は文章を書くのは上手だが、スペルミスがひどく、分詞の一致に苦労するのと同じくらい、化学元素の暗記にも苦手意識を持っていた。 高校での3年間、プチ氏は惨めなほど苦労した。数学が退屈で仕方がなく、最初の数学のテストでは最下位だった。一方、彼は記述幾何学に優れており、教師が問題文を定式化するとすぐに 2 つの面の交差を描くことができた。彼の「3D」視覚は、彼の描画スキルと結びついて並外れたものであったが、当時、こうした描画テストは学校の生...